Texnai News Letter


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投稿日:2011年08月28日
タイトル: 中国文化財保存基金
3月14日(月)、帰国当日の午後一番に中国文化財保護基金という団体との会合をTimeMachineのためにアレンジした。「私がアレンジした」という裏にはAutoQTVRに関連し、こういういきさつがあったからである。

AutoQTVRを初めて中国に輸出したのは2006年の秋で、その相手方はあの「人体の不思議」展で有名なVon Hagens Dalian Plastination Ltdという大連にあるドイツ系の会社だった。同社は年に3〜4体ほど人間の死体の水成分をそっくり合成樹脂に置換して標本化するという、いわゆるプラスチネーション処理を施し、それを世界中で展示してまわっている会社である。AutoQTVRはおそらくその人体標本をVR撮影するために導入したのであろうが、そのAutoQTVRの運用責任者が産婦人科の医師でもあり人民解放軍の中尉でもあったZhouさんという女性だった。弊社はその後、2008年の暮、北京の国立地質博物館にAutoQTVRminiを導入することになるが、その時は既にZhouさんが大連の会社を辞めており、ちょうどよいので弊社代理店の担当として手伝ってもらっていた。そして、今年の3月、久しぶりに連絡をとってみたところ、北京の代理店はとうの昔に辞めていてなんと今度は「文化財保護基金」という団体の理事長室秘書長という役職におさまっていた。つまり「文化財保護基金」といえば、バーチャルミュージアムの制作に携わっているTimeMachine社ともまんざら関係のない話でもないため、とりあえずZhouさんを介してトップ同士の会合をアレンジしたというわけである。会合の後、私たちは帰国の途に着く予定であったが、中国東方航空の最終便が震災の影響で欠航と決まり、私たちはとりあえず翌朝一番の便に予約を入れ、臨時のホテルに移動した。[写真:中国文化財保護基金との会合。3月14日、深沢撮影]


投稿日:2011年08月27日
タイトル: 北京TimeMachine社にAutoQTVR納入(7)東日本大震災
11日夜、中国のテレビは繰り返し繰り返し津波の映像を流し続けた。凄まじかった。こんなことが実際日本で起こるのかと眼を疑った。
12日になると福島の原発が爆発を起こしたというニュースが飛び込んできた。すぐにチェルノブイリの事故のことが脳裏に浮かんだ。場合によってはメルトダウンで大爆発の危険もあると思った。菅総理が血相を変えて東電本社に乗り込んだという話も伝わってきた。

そんな中でAutoQTVRの運用トレーニングが始まった。ローテータの初期化、原点サーチ。面倒なのは被写体の位置調整である。動きの自然なオブジェクトVRを作るためには水平ローテータと垂直ローテータの回転軸ならびにカメラの光軸がそれぞれ直交する点に被写体の中心を置かななくてはならないからである。位置が決まってしまえば後は簡単で、制御ソフト「ObjectMaster」で水平回転と垂直回転のパラメータを入力し、撮影開始ボタンを押せばよい。あとは自動的に撮影、データ転送、ファイル生成が実行され、誤作動があればある程度は自動的にまき戻して再撮影してくれる。

GalaxyがWifiでネットにつながったのでトレーニング中もメールやWWWで震災と原発の状況をチェックした。東京からのメールは依然として不通のようだったが他国の取引先や友人たちからは続々と見舞いのメールが寄せられた。中には「着の身着のままでいいからとりあえずトスカーナに疎開して来い」などというせっかちなイタリアの友人もあった。トレーニングは粛々と続いた[写真:AutoQTVRトレーニング中のTimeMachineスタッフたち。3月12日、深沢撮影]


投稿日:2011年08月07日
タイトル: 北京TimeMachine社にAutoQTVR納入(6)東日本大震災
その日の晩、隣接するショッピングセンターでの歓迎の晩餐会に招かれた後、明日のトレーニングのために既に入荷されていたAutoQTVRの組み立てを開始した。が、やはり日本の地震のことが心配だった。この案件を担当していたFeifeiさんが実に良く面倒を見てくれて、逐一、自分のラップトップから情報を取り出して私たちに教えてくれた。今回、東京から携行してきたGalaxyがTimeMachine社のアカウントでWifiに接続でき、自分でも徐々に地震の情報は得られるようになった。M9.0....。震源は宮城県沖約130キロ....。地震に加え、津波による被害が甚大なようであった。

東京と電話が通じたのはホテルに戻った後、夜中の12時を過ぎてからだった。渋谷あたりもかなり揺れたそうであるが大した被害もなく、帰りの電車が全てストップして歩いて帰宅したこと以外は、皆、無事であることを知ってまず胸をなでおろした。その後、暫くたって玉川学園の自宅にも電話が通じ、家内も無事であることを知って安心した。それでも「2階のテレビが棚から滑り落ちた」とか「リビングの時計が壁から落ちて自分の頭をかすめた」とか説明する電話の先の彼女の声はかすかに震えているようだった。[写真:TAutoQTVRの組み立て作業。3月11日、深沢撮影]


投稿日:2011年08月07日
タイトル: 北京TimeMachine社にAutoQTVR納入(5)東日本大震災
マネージャーの徐喜(Xu Xi)さんによれば、TimeMachine社の仕事はもっぱらバーチャル・ミュージアムの受託制作で、クライアントはほとんど大手の国立博物館だという。中国は、いま、経済成長の最中であるが、経済的な豊かさだけでは中国人民は幸福になれない。経済の次は文化的にも豊かになることが肝要で、全国に3000ほどある国立博物館こそがそのための最大の武器とならなくてはならない。そして中国政府は、今、そうした基本政策の基に文化遺産の保存・公開、博物館の有効利用のために最大限の予算をつけつつあるのだという。

つまり、TimeMachine社もそうした中央政府の基本政策の流れに沿うかたちで博物館系の仕事を受注しているわけであるが、驚いたのはその制作費だった。通常の特別展をバーチャル・ミュージアム化する仕事で、その予算は大体1億円は下らないという。金額だけであれば日本の場合の10倍から30倍で、ちょっとした映画が1本つくれる額である。

ではどんな作品を作っているのか? 今、制作中のFlash作品を何本か見せてもらったが、最も印象的だったのはその画質と独自のユーザーインターフェースだった。3次元的に構築された展示場をゆっくりと鑑賞してまわる動きとなっており、作品ひとつひとつの画質が極めて高い。これまでは平面的な作品を高精細スキャナでデジタル化して使用してきたが、これからはAutoQTVRを使って立体物の360度回転画像もより高精細な対話型映像として展示するのだという。バーチャル・ミュージアム1本に投入する制作スタッフは、プログラマー数名を含めて約24名。オーサリングには必要に応じておしみなくオリジナルのツールを開発するのだという。[写真:TimeMachine社の制作室。3月11日、深沢撮影]


投稿日:2011年08月06日
タイトル: 北京TimeMachine社にAutoQTVR納入(4)東日本大震災
3月11日の大震災からあっという間に5ヶ月が過ぎてしまった。久しぶりにその日に立ち戻って見たいと思う。

東京と連絡がとれなかったので不安は募るばかりであったが、TimeMachine社ではとにかくAutoQTVRのインストール作業を進める他はなかった。応対に現れたのはテクニカル・コンサルタントの肩書きをもつ徐喜(Xu Xi)さんという青年で、他の人たちはマネージャーと呼んでいた。マネージャーというよりもむしろ現場の技術者といった感じでそれほど愛想のいいタイプではなかったが、あいさつを交わすなり、まずは、「わたしは日本のアートが好きでしてね」と廊下の両側の壁に飾られていた額入りのポップアートを紹介してくれた。私は知らなかったのだが、それは村上隆の「DOB(ドブ)君」をモチーフにしたオフセットリト作品4点と「達磨シリーズ」4点だった。今、市場で買えばどれも20万円は下らない作品だそうであるが、こういうアート作品を廊下に並べておけるマルチメディア・プロダクションが、今日、中国に存在できるようになったことが驚きだった。写真は「DOB(ドブ)君」シリーズを前にした徐喜(Xu Xi)さん(2011年3月11日、深沢撮影)。


投稿日:2011年05月31日
タイトル: 北京TimeMachine社にAutoQTVR納入(3)東日本大震災
TimeMachine社はホテルに隣接するかなり立派なインテリジェントビルの8階にあった。最近移転してきたばかりだそうで、広々としたエントランスロビーとその正面の真新しいフロントデスクがまばゆいばかりである(2011年3月11日夕方、深沢)。


投稿日:2011年05月24日
タイトル: 北京TimeMachine社にAutoQTVR納入(2)東日本大震災
3月11日、現地時間で午後5時45分頃、とにかく部屋に飛び込んだ私はまずは電話の受話器をとった。しかし、渋谷の会社にも町田の自宅にも全く電話は通じなかった。あの中国人の話は本当だったのかと思った。と、そこへ同行した鳥居君がやってきて「ネットで調べたら東北地方が大変なことになっているらしい。震度はM8。続く大津波で悲惨なことになっている」と伝えてくれた。私も自分のノートPCをネットにつなぎ、会社からメールを確認してみた。しかし、東京とはメールもつながらない様子だった。私たちの不安はますます深まるばかりだった。

東京と連絡がつかない限り、北京ではなすすべがなかった。私たちは、とにかく訪問先のTimeMachine社を訪ねることにした。写真はホテル駐車場からみた広順北大街(2011年3月11日、深沢)。


投稿日:2011年05月21日
タイトル: 北京TimeMachine社にAutoQTVR納入(1)東日本大震災
北京のTimeMachine社といえば、中国でも有数の博物館系マルチメディア・プロダクションである。そのTimeMachine社が、今春、AutoQTVRの導入を決め、北京では国立地質博物館に続いて2台目の設置となった。

羽田を発ったのは3月11日13時40分。あの地震と津波が東北地方を襲うことになるちょうど1時間前だった。飛行中も到着した北京空港でも何もアナウンスはなかった。私たちはそのままタクシーでダウンタウンへ向かった。

紫禁城北東に位置する広順北大街。ホテルに付き、型通りのチェックインを済ませ、エレベータに乗ったところで初めて地震のことを知った。私たちが日本人と思ってか、乗り合わせた中国人旅行者が「今、日本は大地震で大変なことになっている。マグ二チュード8以上らしい。東京でも九段会館の天井が落ち、渋谷あたりも大変なことになっている」という。そのうち東海地方にも大地震が来るということはいつも聞いていたことなので「九段会館の天井が落ちた」と聞いて、一瞬、壊滅状態になった渋谷の街が脳裏をよぎった。これはひょっとすると本当に大変なことになっていると思い、自分の部屋へと急いだ。写真はホテルのある広順北大街(2011年3月11日、深沢)。


投稿日:2011年05月11日
タイトル: 民博特別展「ウメサオタダオ展」(4)
マルチメディア展示「ウメサオタダオとその世界」は、1階の整理棚のフロアにも32"のシステムが2台設置された(2011年3月9日、深沢)。


投稿日:2011年05月11日
タイトル: 民博特別展「ウメサオタダオ展」(3)
こちらは特別展会場の2階。吹き抜けの周りのフロアの外壁は全体がウメサオタダオ年表になっている(2011年3月9日、深沢)。


投稿日:2011年05月11日
タイトル: 民博特別展「ウメサオタダオ展」(2)
「ウメサオタダオ展」については、当初、これといって展示するだけの「モノ」があるわけではなく、一民族学者の足跡を追うだけではたして展示会が成り立つかどうか危ぶむ声もあったらしい。しかし、梅棹忠夫は90年という長い生涯であらゆる資料を積極的に収集し、整理し、印刷物、写真、録音テープ、フィールド・ノート、スケッチ、日記、書簡、会合資料など多種多様で膨大な数の「情報」を遺した。本特別展は、その「情報の多様性と膨大な数」を存分に活かしきり、それらを「情報の整理棚」といった形で象徴的に視覚化することに成功した。(2011年3月9日、深沢)。



投稿日:2011年05月10日
タイトル: 民博特別展「ウメサオタダオ展」(1)
国立民族学博物館の特別展「ウメサオタダオ展」が3月10日から6月14日まで同特別展示館で開催されている。本特別展は、同館を創設し、初代館長を務めてこられた民族学者梅棹忠夫(昨年7月3日逝去・享年90歳)の足跡をたどりながらその思想の先見性や実行力をあらためて発見していただこうとするもので、弊社は同館の依頼により、マルチメディア展示「ウメサオタダオとその世界」を制作させていただいた。内容はウメサオタダオの生涯を年表と地図から写真と自筆の手記やスケッチで紹介しようというもので、中には「西蔵の特殊性」と題し、「西蔵の皇国化の必要性」を問うた1943年の手記など普段はお目にかかれない貴重な資料を多数収録してある。写真は50インチの表示システムにコンテンツをインストール中の鳥居君。Flashのオーサリングを担当してもらいました(2011年3月8日、深沢)。



投稿日:2011年05月08日
タイトル: Memphis(7) BB Kings Blues Club
せっかくなので本場のブルースを聴いて帰ろうと思い、"BB Kings"というブルースクラブに入ってみた。店に入るのには15ドル。飲み物や食事は後で自由にオーダーすればよい。もちろん何もとらなくても文句は言われない。まだ6時を過ぎたばかりだというのに店はもうぎっしり満員。眼の前のライブの騒音(?)の中でむんむんとした熱気に包まれていた。ミュージシャンたちは1ステージ約20分位で、次から次へと休む事なく演奏が続いてゆく。(2011年2月4日、深沢)。



投稿日:2011年05月08日
タイトル: Memphis(6) Beale Street
こちらはブルースやロックンロール発祥の地として世界的に有名な"Beale Street"。1841年、ミシシッピー航路の港町として開発されたのが始まりで、その後1860年代になると黒人のシンガーたちが集まり始めた。1870年代には
黄熱病の流行もあって一時発展が途絶えたが1900年代になると後のOrpheum Theaterなどが建設され、ブルースのミュージシャンたちが集うエンタテイメントセンターとなり、今日に至っている。通りにはミュージッククラブやレストラン、ギフトショップが軒を連ね、毎日明け方4時頃まで客の姿が絶えないという。ちなみにプロバスケットチームの現在の拠点FedEx Forumはこの通りの一画にある(2011年2月4日、深沢)。


投稿日:2011年05月07日
タイトル: Memphis(5) Elvis & Graceland
ここがエルビスファンの聖地"Graceland"。Memphisのダウンタウンから約10キロほど南にある敷地面積約14エーカーの広大な邸宅である。"Graceland"は、もともと地元のS.C.トゥーフという人が所有する農場であったが、彼の娘グレースの名をとって「グレースランド」と名付けられたのだという。エルビスが両親と共にこのグレースランドに引っ越してきたのは1957年、邸宅は改築され、後に部屋の一部は録音スタジオとしても使用された。1977年8月16日、エルヴィスは心臓発作でこのグレイスランドのバスルームで死亡した。1982年から博物館として一般公開されており、2006年にはアメリカ国定歴史建造物にも指定された。もう大分昔の話になるが、あの小泉元首相がブッシュ大統領に招かれた際、いきなりエアギターの身振りでプレスリーを歌い始め、周囲の失笑を買ったのもこのグレースランドだった(2011年2月2日、深沢)。


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